サモアの文化を語る上で欠かせないものが「タトゥー」です。
サモアは「儀式としてのタトゥー」がいまもなお残る世界でただ一つ国と言われています。
サモアのタトゥー文化や歴史を知ることで、ファッションとしてだけではないタトゥーの知られざる魅力を感じることができます。
この記事では、次の内容について解説します。
- サモアのタトゥー文化のルーツや伝説
- サモアの伝統的なタトゥーの特徴
- サモアでタトゥーをすることの意味
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タトゥーのルーツとは
タトゥーの起源には様々ありますが、民族的なタトゥー(トライバル・タトゥー)の起源は3000年前のポリネシア地域と言われています。
ポリネシア地域とはニュージーランド、ハワイ、イースター島を結んでできる三角形の地域を指し、その多くの国々にタトゥー文化が今も残されています。
タトゥーの由来はサモア語「タタウ -tatau-」
タトゥー(tattoo)という言葉は英語ですが、その由来となった言葉がサモア語の「tatau」と言われています。
サモア語はtatauは、タトゥーのほかに「正しい」「必要である」という意味もあります。
ちなみに、タヒチ語にも同じく「tatau」と言う言葉があり、「叩く」という意味だとのこと。
もともと同じ民族だったことを考えると、同じ言葉があっても不思議ではありませんし、同じポリネシアの文化を共有していた証とも言えるでしょう。
起源は3000年前?
一説によると、タトゥーの起源は3000年前とも言われています。
サモア人の祖先であるラピタ人が現在のサモアに到達したのが紀元前950年頃と言われているので、その頃にはタトゥーという文化があったということになります。
ただ、これを証明する証拠は残念ながら残っていません。
しかし、サモア人と同じルーツを持つ日本人ですら縄文時代にはタトゥーの文化があったとされています。
縄文時代よりもあとの3000年前ごろにサモア人がタトゥーをしていたとしても何の不思議もないと言えるでしょう。
ちなみにサモアのタトゥー文化について現在残っている一番古い記録は、1800年代にヨーロッパ人がサモアに到達した際に記録されたもののようです。
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サモアに古くから伝わるタトゥー伝説
サモアには、タトゥーがどのように伝わったのかを示す伝説が語り継がれています。
その伝説は次のようなお話でした。
昔々、サモアに住む2人の女性がフィジーに泳いでいき、タトゥーの技術を身につけてサモアに帰ってきました。
彼女たちはそのタトゥーを歌にしてよく口ずさんでいました。
「タトゥーは女にするもの。男にするものではない。」
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ある日、彼女たちはサモアのファレルポという村に着きました。
ふと、彼女たちの1人が海の底にきれいな貝を見つけました。
その貝が欲しくなった2人は、カヌーに乗って近づき、海に飛びこみました。
貝をつかまえ再びカヌーに戻ると、1人が突然たずねました。
「私たちがよく歌ってたあの歌って、どんな歌詞だった?」
するともう1人が答えました。
「タトゥーは男にするもの。女にするものではない。」
++++++++++++++++++++++++++++++
その後、2人はサファタ村にたどり着き、そこで大変温かく迎えられました。
2人はそのお礼にタトゥーの技術を教えてあげることにしました。
タトゥーの技術を歌で覚えて帰った2人は、その歌を口ずさみながら教えていきます。
そして、その歌詞の中で、
「タトゥーは男にするもの。女にするものではない。」
と教えます。
もともとフィジーで習ったタトゥーは女性に入れるものでした。
歌詞を間違えて覚えていた2人は、タトゥーを男性にいれるものと教えてしまいます。
こうして、サモアでは男性にタトゥーをする文化が根付いていったのでした。
泳いでフィジーに行ってる時点でいかにも「伝説」って感じのストーリーですね。
ちなみにこの物語には、この2人が結合双生児(2人で1つの身体)だったこと、その後身体を分離させ神様になった話などもあるようです。
サモアン・タトゥーの特徴
サモアの伝統的なタトゥーの特徴は、以下のようなものがあります。
- 腰から膝にかけて広範囲に彫るタトゥー
- 伝統を引き継ぐ職人だけがタトゥーを彫ることができる
- 村に認められた者だけがタトゥーを入れることを許される
このような伝統が何千年も前から引き継がれている点が、サモアと他の国とで明らかに異なる点と言えるでしょう。
3000年以上続く技「ペア -pe’a-」
「ペア -pe’a-」は、サモア語で「男性がするタトゥー」を指します。
幅はへそのあたりから膝上にかけて、そして前面だけでなく背中まで360度びっしりと模様が彫られます。
また、「ペア -pe’a-」には、「コウモリ」と言う意味もあり、タトゥーが羽を広げたコウモリに見えるからという説もあるようです。
ちなみに、サモアでは男性だけでなく、女性もタトゥーを彫ります。
女性がするタトゥーはサモア語で「マル -malu-」といいます。
男性のペアと違い、マルは点のような模様でできたデザインが一般的で、ペアに比べて彫る面積も少ないです。
女性は普段はタトゥーが見えないように隠すのがマナーになっています。
唯一の例外は、儀式や祭りなどの特別な時。
この時だけは、女性たちは裾をまくり上げ、タトゥーを出して踊るのです。
サモアの人々が持つタトゥーに対する強い思いを感じることができる瞬間です。
人間国宝級の彫師「ツファガ -tufaga-」
タトゥーを彫る作業は、サモアでは神聖な儀式です。
そして、そのタトゥーを彫る職人も特別な存在なのです。
サモア語でタトゥーの彫師のことを「ツファガ -tufaga-」といい、とくに上述のペアやマルは必ずこのツファガが彫ります。
そしてその工程はすべて代々受け継がれてきた伝統的な手法を用います。
例えば、イノシシの骨や亀の甲羅などでできた道具を使って模様を彫ったり、キャンドルナッツ(ククイ)を燃やして出来たすすで染料を作ったりと、すべて自然のもので作り上げます。
また、タトゥーを彫る際の痛みは屈強なサモア人も音を上げるほどだそうです。
認められた者だけが経験することのできる痛み
タトゥーは誰でも入れることができますが、それには次に挙げる人たちからの承認を得る必要があります。
- マタイと呼ばれる村のリーダー(matai)
- 彫り師であるツファガ(tufaga)
- 村全体(aiga)
とくに伝統的なタトゥーであるペアやマルは、その人がどれだけ認められているかを示すものでもあるため、よほどの信頼を得ない限り彫ることはできないようです。
そしてペアやマルは、完成するのになんと2~3週間、長い時は1カ月以上かかることもあるそうです。
タトゥーを彫っている間、強烈な痛みに苦しむ様子を家族や村の人々は常に見守り、ときに汗を拭いてあげたり、歌を歌って励ましたりするそうです。
その痛みに耐えてこそ、サモア人としての誇りを手にすることができるのでしょう。
サモアにおけるタトゥーの意味
つづいて、サモア社会におけるタトゥーの意味についてお話します。
一人前として認められるため
サモアにおいてタトゥーを入れることは、次のような社会的な意味を持ちます。
- 成人としての通過儀礼
- 村のリーダーと認められた証
- サモア人としてのアイデンティティ
タトゥーは、サモア社会にとって一人前として認めてもらう1つの儀式です。
つまり、成人としての通過儀礼のような役割があります。
もちろん、現在は全員が強制されるものではありません。
それでも、タトゥーをしていることが一定の信頼を得ることにつながったり、していないことで相手からの尊敬を損なったりする価値観は、今でも残っているようです。
とくに、未完成のタトゥーをしていることは、途中で逃げ出した証拠であり、とても恥ずべきこととして考えられています。
また、村のリーダーであるマタイに任命された時に大きなタトゥー(ペアやマル)をするという習慣が、今でも残っています。
このマタイの証である大きなタトゥーは、いわば「水戸黄門の印籠」「遠山の金さんの桜吹雪」のようなものです。
どんな喧嘩が強そうな若者でも、これを見せられば決して歯向かうことが許されない、それがサモアの社会での習わしです。
また、大小関係なくタトゥーやそのデザインは、サモアの人々にとってアイデンティティのようなものです。
タトゥーの文化をとても誇りに思っており、この文化を守りたいという思いが非常に強いです。
それは祖先が長年守り続けてきた文化だからなのかもしれません。
タトゥー文化絶滅の危機
ポリネシア地域の多くの国でタトゥーの文化が根付いていたにも関わらず、1800年代になるとそのほとんどが衰退しました。
原因は、キリスト教の伝来です。
1800年代、世界は大航海時代を迎え、太平洋の島々もヨーロッパの国々によって発見、開拓されていきます。
それと同時に広められたキリスト教の教えでは、身体を傷つける行為は罪とされていました。
皮膚を傷つけて染料を打ち込むタトゥーも当然「野蛮な行為」「罪なこと」として、禁じられていきました。
しかし、サモアの人々はそれに抵抗し、タトゥー文化の火を消さぬよう努めました。
またサモアがいくつかの島でできていたことも功を奏しました。
宣教師がたどり着けないような小さな島にもタトゥーを彫る技術を持った彫師は存在したため、完全に排除することが難しかったようです。
また、当時のカトリックの宣教師に「タトゥーは宗教的な儀式ではないようだ」と判断させ、タトゥーを例外的に認めさせたことも大きな要因でした。
こうしてサモアは今日まで、伝統的な儀式としてのタトゥーを継承することができたのです。
世界中に広がるアートとしてのタトゥー
近年、多くのサモア人がニュージーランドやオーストラリア、アメリカへと移住していきました。
しかし、移住してもなお、彼らはタトゥーを彫り続けました。
それは、サモア人としての誇りを忘れぬよう、そして遠い異国でサモア人同士のつながりを深め協力していくためです。
そのうちに、その特徴的なデザインは世界中に認知されるようになりました。
現在では、デザインとしてだけでなくアートとしても、タトゥー柄は注目を浴びています。
さいごに
いかがだったでしょうか?
今回は、サモアのタトゥー文化について紹介しました。
昨年のラグビーW杯では、サモアのラグビーチームがタトゥーをスパッツなどで隠して試合に臨んでいました。
日本で入れ墨はあまり良い文化として見られていないことに配慮してとのことだったようです。
しかし、同じ入れ墨でもその国の文化によって捉え方はそれぞれです。
サモアにとってタトゥーはアイデンティティであり、誇りです。
そんな異文化を理解しようとし、受け入れる土壌が日本にはまだまだ不足しているのかもしれません。
ぜひこれを読んでくださっているあなたにも、サモアに来てタトゥー文化に触れ、その素晴らしさを感じていただきたいです。